わたしの気仙沼手帳③『気仙沼を歩いて感じたこと』

迎(ムカエル)、結(ユワエル)、拓(ヒラケル)、創(ウマレル)。希望の代表のようなこれらの文字たちは、ないわんに並ぶ4つの施設の名前となっていました。これらを訪れた印象は前衛的かつ温かみのある場所ということです。個人的に、観光まちづくりにおいてこのふたつの印象が共存することは難しいと感じていました。なぜなら、新しいものを求めて野心的に動いていくと次第に経営者としての欲が大きくなり、結果的に訪問者が良い場所だと素直に思える雰囲気から離れていくと思うからです。でも、この気仙沼ではそれぞれの施設が気仙沼のために動いていて、心地良い空間になっている気がしました。

 

目の前のことから少し逃げたいとか、なんとなく一息つきたいとか、何か新しい価値観を吸収したいとか。漠然とした不安に埋もれそうなときにこそ来たい場所です。自分でも分からなかった自分自身が求めているものがいつの間にか手の中に入ってくる感覚と、でもそれをどう使うかは見守っていてくれる自由さ。そんなものを感じました。

私の目に映った気仙沼は、懐かしさと遊び心が混ざり合うまち。それも完全に混ざりきって一色になっているのではなく、マーブル模様の状態。人が動くたびに繊細な模様になって中身が詰まっていくような、変化し続けられるまちだという印象を受けました。

 

私が気仙沼にいるのは10日ほど。就労はその中のたった5日間。出会うもの全てが新鮮であっという間に時間が過ぎていきました。だからこそもっともっと知りたくなる、そんな魅力がありました。

絶対にまた来ます。ありがとうございました!

 

(文:高野)

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